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『裸川の由来』あらすじ

(はだかがわのゆらい)


【解説】
 青砥左衛門藤綱(あおとさえもんふじつな)は、鎌倉時代に執権・北条時頼に仕えていたといわれ、公明正大なその裁きで名奉行として有名だったという。歌舞伎では『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうしはなのにしきえ)の最後の場で登場する。川に落した十文銭を五十文する松明を使って探したという故事が伝わり、この講談はそのエピソードを膨らませたものである。

【あらすじ】
 鎌倉幕府五代執権北条時頼が実権を握っていた頃の話。青砥左衛門藤綱(あおとさえもんふじつな)が鶴岡八幡宮の参詣を終え屋敷に戻る際、滑川に架かる橋を渡る。橋の上には1人の盲目の乞食がおり藤綱は十文銭数枚を恵もうとするが、そのうちの何枚かが乞食の手のひらからパラパラとこぼれ落ちる。調べると、藤綱が与えた十文銭は5枚。乞食の手のひらにあるのは3枚。二十文の銭が川に落ちたことになる。たった二十文とはいえ天下の通用金である。藤綱は人足を雇いザルと松明を用意させ、川をさらって落ちた金を夜通し探させる。夜が明けたが金は見つからない。嫌気の刺した人足たちは手持ちの二十文の銭を川の中から見つけたと偽って、これを藤綱に渡す。
 二十文の銭を受け取って満足した藤綱が屋敷へ戻ると、一人娘のおりんが風車で遊んでいる。尋ねるとこの風車は、藤綱が与えた十文銭で買ったという。藤綱はすっかり失念していた。ならばどうしてここに二十文の銭があるのか。人足たちが自分を欺いていたことに気付き、激怒した藤綱は引き続いて人足たちに十文の銭を探させる。人足は着物もフンドシも身に付けない素っ裸の姿で川の中に入り、銭を探している。筋骨たくましい若い男が裸でいると評判になり、橋の上には若い娘たちが駆け付ける。するとこの娘たちを目当てに今度は若い男たちが群がる。こうしてこの滑川はいつしか「裸川」と呼ばれるようになったという。




参考口演:一龍斎貞橘

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