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『白隠禅師』あらすじ

(はくいんぜんじ)


【解説】
 白隠(1686〜1769)は江戸時代中期の禅僧。駿河国・原(現在の静岡県沼津市)の生まれ。15歳の時出家して信州・飯山など諸国を行脚して修行を重ね、31歳の時に原に帰る。広く民衆への布教に務めて、衰退していた臨済宗を再び盛り立て、『臨済宗中興の祖』と言われる。この読物はその白隠禅師の逸話として知られているもの。
 東海道・原の宿に山崎屋という油問屋があり主人は徳兵衛という。徳兵衛の娘が父親の分からない子供を産む。問い詰められた娘は父親は白隠禅師であると告げると、普段から白隠を深く信じていた徳兵衛は烈火のごとく怒る。この噂は原の宿に広まり、人々から白隠は悪徳坊主とさんざん罵られる…。
 
【あらすじ】
 東海道五十三次・原の宿に山崎屋徳兵衛という大きな油問屋の主人がいた。代々の老舗で奉公人も大勢働いている。この徳兵衛にはひとつ病気があった。ちょっとしたことでカッーと怒りカンシャクを起こす。それが松蔭寺(しょういんじ)という寺で白隠禅師の説法を聞くようになってから、心穏やかな好々爺になる。白隠禅師はこの原の生まれで、信州・飯山で正受(しょうじゅ)という方の元で8年修行をし悟りを開いた。その後、原に戻り立派な方だと皆から慕われている。
 徳兵衛は女房から、娘の“おふで”のお腹に赤ちゃんが出来たことを知らされる。間もなく、父親が誰とも分からないままおふでは子供を産む。徳兵衛が問い詰めると、おふでは子供の父親は白隠であることを告げた。白隠はもう70歳を過ぎている。最初は信じていなかった徳兵衛だが、娘の話を聞いているうちに父親は白隠であることを確信する。カッーと怒った徳兵衛は白隠のいる松蔭寺へと駆け込む。「この堕落坊主の生臭坊主!」「よくも娘をたぶらかしたな」「お前なんかこの村へいられないようにしてやる」。徳兵衛はさんざん悪態を吐き、赤ん坊を置いて寺を飛び出していく。白隠は近くで農作業をしていた女性から赤ん坊の乳を貰う。
 白隠が徳兵衛の娘に子供を産ませた。原の宿にはこんな噂があっという間に広まる。悪徳坊主にされた白隠は、それから托鉢に行っても何も貰えない。さらに白隠の元で修行していた雲水たちも寺を出て行ってしまう。清太郎と名付けられた赤ん坊を抱いて隣町まで托鉢に行くがやはり何も貰えない。
 ある冬の日、原の宿には雪が降る。徳兵衛が家の外を見ると、寺から追い払われることになった白隠が歩いている。「ざまあみろ」とせせら笑う徳兵衛。ここでおふでは打ち明ける。父親は白隠ではなく、店の手代の庄吉である。主人の娘に子供が出来たことを知った庄吉は店を出て行ってしまった。徳兵衛に問い詰められ、困ったおふではつい白隠の名を出してしまったのだ。
 大変なことをしてしまった。徳兵衛たちは雪の中、白隠を探し回りそして見つけた。本当の父親が分かったことを告げ徳兵衛は詫びる。白隠は「人は誰しも過ちはある」と心穏やかに語る。白隠が寺に戻ると、子供の父親である庄吉がそこにいた。白隠が濡れ衣を着せられたことを知ってここに来たという。白隠は庄吉を山崎屋に連れて行って、親子3人仲良く暮らすよう諭す。山崎屋の一家は去っていく白隠を仏の如く拝むのであった。
 この噂はまた原の宿に広まる。白隠は前にも増して人々から慕われる。また寺を去った雲水たちも戻って来て、寺は栄えたという。「駿河には過ぎたるものが二つある 富士のお山に原の白隠」、こう歌われたという。




参考口演:神田すみれ

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