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『伊達政宗堪忍袋』あらすじ

(だてまさむねかんにんぶくろ)



【解説】
 三代将軍家光の時代の話。旗本連中は、伊達政宗をもてなす役目を言いつかるが、ふだんから大名のことを憎々しく思っている旗本にはこれが面白くない。兼松又四郎という者に政宗を殴らせることにする。接待をする前、土井大炊頭(おおいのかみ)の屋敷の廊下で又四郎は政宗をポカポカと殴る。しかし政宗は動じない。
 宴席で政宗は又四郎を呼びつけて『曾我物語』を話し始め、その中の犬房丸(いぬぼうまる)の逸話から、どうして叩かれても手出しひとつ出来なかったを語る。

【あらすじ】
 天正18年、徳川家康が江戸に入るとまず第一に始めたのが道の整備である。礼儀に篤い家康は諸大名が江戸に入るときに、品川、内藤新宿、板橋、千住の四宿まで出迎える。三代家光の時代になって、参勤交代の制度が整った。家光は大名たちを江戸城の大広間に集めて、四宿までの出迎えの儀を辞めると告げ、もしこれを承知するなら松平の称号を許すと言う。誰も言葉を発することが出来なかったなか、伊達政宗は大声をあげて承知をすると言い、ほかの大名たちもこれを受け入れることになる。これに安堵したのが老中、土井大炊頭(おおいのかみ)で、屋敷に政宗を呼んで接待したいと思う。そこで大久保彦左衛門と相談をし、旗本たちが弓馬体槍剣(きゅうばたいそうけん)の技を見せて、政宗をもてなそうと考えた。
 すぐに駿河台の大久保彦左衛門の屋敷に旗本連中が集まるが、伊達政宗のもてなし役と聞いて不満顔である。自分たちは三河の時代からひたすら徳川家に仕えてきたのに、大名ごときのご機嫌を取る役目を言いつかるとは。そこで旗本たちは話し合い、兼松又四郎という若い者に伊達政宗を殴らせることにする。
 数日たって、霞が関の土井大炊頭の役宅へ旗本たちが集まる。駕籠に乗った政宗が到着し、長廊下を大炊頭の後を付いて進む。廊下の両脇には旗本たちが並び座って頭を下げている。政宗の提げている刀の鐺(こじり)の部分に向けて又四郎はわざと頭を出し、それがコツンと当たる。又四郎はすっくと立ちあがり「政宗殿。お待ち下され。いかなることか」と、ポカポカポカと政宗を3回殴る。このままでは大事になると大炊頭は気づかぬふりをしてそのまま進み、政宗も何事もなかったかのようにこれに付いていく。
 旗本たちは弓馬体槍剣の技を披露し、それから宴席となる。宴たけなわとなった時、政宗は又四郎を自分の前に呼んで欲しいという。どうにでもなれと又四郎は政宗の前で平伏する。政宗はよく自分のことを叩いてくれた、『曾我物語』の舞を舞って返礼をしたいのだが、久しく舞っていないので、今ここで話してさらってみたいと言う。こう言って『曾我物語』を語り始める。
 曾我時致(そがときむね)が父の仇、工藤祐経(くどうすけつね)を討った後、縛られた時致は祐経の子の犬房丸(いぬぼうまる)に打擲(ちょうちゃく)された逸話を話す。伊達政宗は自身のことを奥州62万石の大大名でがんじがらめに縛られた身であると言う。自分が乱れたことをすればたちまち家臣たちは路頭に迷ってしまう。なので兼松又四郎がごときに叩かれても手出しひとつ出来なかった。身分というものは持ちたくないものだ、政宗はこう語る。政宗は又四郎に刀を与えるが、その時の政宗の顔の恐ろしかったこと。又四郎はブルブルと震え上がる。参席した旗本連中にも、この時ばかりは小柄な政宗が大きな赤鬼に見えたという。





参考口演:一龍斎春水

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