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『天保水滸伝 笹川の花会』あらすじ

(てんぽうすいこでん ささがわのはながい)



【解説】
 『天保水滸伝』というと現在では浪曲のイメージが強いが元は講談で、宝井琴凌という講談師が房総を旅した際に聴いた、侠客同士の抗争を読物として仕立てたものと言われている。
 飯岡の親分、助五郎には洲崎(すのさき)の政吉という子分がいる。「花会」という大きな賭場が笹川で開かれるが、風邪をひいた助五郎に代わり政吉が行くことになる。政吉は笹川繁蔵に渡す「義理」(金)として、親分・助五郎から5両、その子分一同から3両を預かる。政吉が笹川の十一屋まで出向くとそこには日本各地の大親分が居並んでいた…。

【あらすじ】
 朝、笹川繁蔵から飯岡助五郎の元に、花会を笹川の十一屋で開くとの知らせが届く。花会とは親分衆ばかりが集まって開く賭場のことである。助五郎は風邪をひいて寝込んでいるので、洲崎(すのさき)の政吉に花会に行くよう言いつける。政吉は助五郎の跡目を継ぐ者であり一番信頼のできる子分である。政吉は笹川繁蔵に渡す「義理」(金)として、親分・助五郎から5両、その子分一同から3両を預かった。2人の子分を連れて5里離れた笹川まで赴き、花会が開かれる宿屋・十一屋へ着く。
 宿屋に入り、「義理」を繁蔵の子分に渡そうとするが、傍らにいた繁蔵はそれを自分の懐にしまい込んでしまう。横から金を頂戴してしまうようなしみったれた野郎だと政吉は鼻で笑う。花会の開かれる二階の広間に入ると政吉は驚いた。見渡すと、どこの誰だかは知らないが一目見ただけでこれは大物だと分かる貫禄のある親分衆がズラリと居並んでおり、すっかり威圧されてしまった。政吉はそれほどの貫禄は無いし、見知った親分も見つからない。どこへ座ればいいものかと思っていると、「こっちへ来い」と声がかかった。常陸国の親分、皆治であった。皆治は助五郎の親分である銚子の五郎蔵と兄弟分の仲である。皆治は参席している親分たちに政吉のことを紹介する。ひとり、皆治の向かい側に胸毛の見える眉毛の太い、いかつい顔をした男が腕を組んで政吉をじっと睨んでいる。この男は政吉の親分の助五郎のことを「スケ」と呼ぶ。頭にきた政吉。その男は広間に居並ぶ、遠方からも駆け付けた大親分の歴々の名を言い立てる。さらに飯岡と笹川がすぐ近くなのにも関わらず、這ってでもなぜ来なかったと助五郎をなじる。この男こそ上州の大親分、国定忠治であった。
 鴨居にはどこどこの親分からいくらいくらの「義理」を貰ったとのビラが貼って並べてある。そこには親分だったら50両から60両、身内一同だったら25両というような額が並ぶ。ところが助五郎が渡した「義理」は5両でその身内一同からは3両。これでは助五郎は大恥をかく。ところが繁蔵の子分が張った、助五郎の義理のビラには「助五郎50両、身内一同30両」と書いてある。政吉は自分が渡した義理を、繁蔵が懐へしまい込んだ理由が分かった。助五郎が万座の中で恥をかかないようにと繁蔵は金を差し換えてくれたのだ。政吉は繁蔵をありがたく思う。このビラを見て国定忠治も機嫌を直したようで、にっこり笑って盃を渡す。
 政吉は繁蔵に深々と頭を下げて礼を言い、他に回るところがあるからと先に花会の場を去る。飯岡に戻った政吉は、助五郎に花会の模様を話す。大変に盛んで、遠くからも各地の大親分が集まっていた。助五郎親分も明日、顔を出したらいかがでしょうかと言う。繁蔵を妬ましく思う助五郎。政吉はひとり酒を手酌で飲みながら繁蔵になにか恩返しをしなければとしみじみ思う。





参考口演:宝井琴調

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