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『忠治の娘』あらすじ

(ちゅうじのむすめ)


【解説】
 国定忠治の死後の話で、三ツ木文蔵という忠治の子分が主人公になる。三ツ木文蔵について資料はほとん残ってはいないが、手裏剣に巧みで、天保11(1840)年に32歳で小塚原で処刑されたとも言われている。
 東海道の島田の宿で荒物屋を営む文左衛門には“おふく”という美しい娘がいる。正太郎という元ヤクザ者がおふくと結ばれ、文左衛門の店で真面目に働く。ある日、正太郎は元の親分から、日坂の金兵衛という者を殺すよう頼まれる。すでに足を洗った正太郎だが、おふくや義父に迷惑を掛けたくないとこの依頼を引き受ける。金兵衛を殺害しに行く途中、大井川で義父・文左衛門と遭遇し「もう、金兵衛を殺しに行く必要はない」と言われ、驚く正太郎。家へ戻り、文左衛門の意外な過去、おふくの生い立ちが明らかになる…。

【あらすじ】
 東海道は島田の宿。油・荒物・釣り道具を扱う中屋という店があり、主は文左衛門という。彼には「おふく」という美しい娘がいる。狙う男も多かったが、正太郎というヤクザ者と所帯を持つことになった。正太郎は足を洗い、今は堅気として文左衛門の店で甲斐甲斐しく働いている。そこへ現れたのが、かつての正太郎の弟分。正太郎の元の親分である金谷の鬼鉄という親分の縄張りを広げるため、日坂の金兵衛を殺してくれと頼まれる。一度は断った正太郎だが、妻や義父を危険な目に遭わせてはならないと、結局は引き受ける。
 3日目の夕方、義父は釣り道具を仕入れに府中へ行き、朝から留守である。正太郎は将棋を打ちに行くと言って家を出、物置にしまってあった長脇差をそっと持ち出す。大井川を渡っていると、向こう側から来る舅の文左衛門と出くわす。府中からの帰りなら方角が逆のはずだ。「お前は日坂の金兵衛を斬りに行く途中だな。もうその必要はなくなった」、文左衛門は言う。さらに正太郎の元の親分、金谷の鬼鉄を叩き斬ったと文左衛門は言う。訳が分からない正太郎。文左衛門はすべてを知っていた。日坂の金兵衛は仏の金兵衛と呼ばれるお人。それを殺めようとする乱暴者の金谷の鬼鉄が許せず、斬り捨ててしまった。正太郎は文左衛門のことをヤクザ上がりだとは思っていたが、これほど腕のある者だとはと驚く。2人は揃って島田の家へ帰る。
 帰った文左衛門は、自分と娘、おふくの身の上を語る。おふくは自分の実の父親ではない。自分は長岡忠治の子分で、三ツ木の文蔵という者である。21年前、大飢饉が起き、特に上州・越後ではひどかった。餓死者が続々と出、村の民は草を食む有様で、忠治親分は自身の家屋敷を売りその金で村の者に食料を施す。岩鼻の代官に年貢を減免してほしいと申し出るが、代官はせせら笑って門前払いにする。堪忍袋の緒が切れた忠治親分は、そんな代官を刀でもって叩き斬った。忠治はお尋ね者になる。その頃、忠治親分には遊女との間に「おふく」というごく幼い娘がいた。忠治の娘と分かれば身に危険が及ぶ。そこで子分の文蔵にこの娘を託し、自分の娘として育ててくれと言う。「おふく」が大きくなったら堅気の者と一緒にさせろ、決してヤクザ者を婿にもらうなと言い残して去り、最後は大戸の関所で刑死になった。その後文蔵は文左衛門と名を変えてここ島田で商売を始め、おふくをこの歳になるまで育てあげる。おふくを堅気の者と縁づかせることが出来、自分の役目は終わったのでこの地を去ると言う。おふくと正太郎はそんな文左衛門を引き留めるが、お前の実の父親が残した金だといって50両を渡し、島田の地を後にした。上州へ向かった文左衛門は役人に申し出るが、すでに遠い過去の出来事ということで罪には問われなかった。忠治親分の墓の前で腹を掻き斬ろうとするが、これを寺の住職が止める。髪を切った文左衛門は国定一家の菩提を弔って生涯を暮らしたという。




参考口演:神田春陽

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