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『谷風の情け相撲』あらすじ

(たにかぜのなさけずもう)


【解説】
 落語でも『佐野山』という演題でお馴染みの噺である。
 二代目谷風梶之助(かじのすけ)(1750〜1795)は陸奥国宮城郡(現在の仙台市)出身の大相撲力士。1789(寛政元)年に四代目の横綱になる。生涯の戦歴は258勝14敗16分という天下無双の大横綱であった。小野川喜三郎や雷電爲右エ門とともに、寛政の相撲黄金時代を築いた。力量だけでなく人間的にも優れており、模範的な歴代横綱の第一人者と称されている。人格の優れた様は「谷風の七善根」としてその逸話のいくつかが講談や歌舞伎で演じられている。

【あらすじ】
 相撲の全盛時代は寛政年間であるが、中でも最も有名な横綱が四代目の谷風で「相撲の神様」とまで言われた名力士であったが、その谷風がたった一度だけ八百長相撲をしたという逸話。
 その頃佐野山権兵衛という十両の力士がいたが、この佐野山が大変な貧乏。父親が長の患いで看病するために稽古も出来ず今では十両のドン尻である。もうこれ以上位が下がると年十両の給金も貰えなくなり父親の治療費も払えなくなる。これを聞きつけた谷風は無理矢理頼みこんで佐野山と対戦をすることにし、勝ちを佐野山に譲ればよかろうと考えた。
 その場所も中日まで谷風は全勝、佐野山は全敗。一日の対戦の終わりに立行司から翌日の取り組みが発表される。谷風と佐野山の組み合わせが告げられると客席はざわつく。これは柳島の芸者をめぐった遺恨相撲で、明日は谷風が佐野山を投げ殺すなんという噂が江戸市中を駆け巡る。
 一方、佐野山には神田田町青物問屋の鉄五郎というご贔屓がいる。佐野山は中日の挨拶を鉄五郎にしにいくが、その席で鉄五郎は明日の取り組みで、谷風の廻しをつかめば20両、四つになったら30両、もろ差しになったら50両、万万が一勝ったら100両という褒美を与えると言う。
 当日、物見高い江戸っ子で客席は大入り満員である。今日は谷風が佐野山を投げ殺すという噂が立っているので、判官贔屓の客席は佐野山を応援する声でいっぱいである。鬼のような形相でドシンドシンと四股を踏む谷風に対し、栄養失調気味の佐野山はまったく力が入らない。対戦が始まり2人は四つに、そして佐野山はもろ差しになる。こうして谷風は佐野山を支えているのだ。谷風は廻しをつかんで佐野山を土俵の外に出そうとするが、それより一瞬早く谷風の足が土俵を割り出す。もちろんこれはわざとであり、勇み足で佐野山の勝利である。
 天下の横綱を破ったということで佐野山の暮らしは一気に楽になる。無事父親を看取り、佐野山は引退する。谷風の元に礼に行くが、人格者である彼は「決してわざと負けたわけではない」と言い、仙台公から拝領した百両を佐野山に渡す。谷風はこの数場所あと、故郷の仙台へ興行で行くが、ここで風邪のため寝込む。これを聞きつけた佐野山は江戸から駆け付け懸命に看病したが、47歳で不世出の横綱、谷風はこの世を去ったという。






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