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『玉川上水の由来』あらすじ

(たまがわじょうすいのゆらい)


【解説】
 玉川上水はかつて江戸市中へ飲料水を供給していた上水。多摩の羽村から四谷まで全長は43kmで、1965(昭和40)年に東村山浄水場ができて廃止されるまで約300年間利用された。 それまで江戸では神田上水などが通じていたが、人口増大による水不足が深刻化する。1652年、幕府は多摩川の水を江戸に引き入れる計画を立て、玉川兄弟(兄・庄右衛門、弟・清右衛門)が工事を請け負う。工事は1653年4月に着工しわずか8ヶ月後の同年11月に完成した。この読物は工事の資金集めに苦心する玉川兄弟の様を脚色化したものである。

【あらすじ】
 承応二年十一月の末、江戸は朝から降り出した雨が雪へと変わり、夕方になると強い風も吹いてきて一段と寒さが加わってきた。普段は賑やかな麹町の大通りも人気がない。そこへ流してきたのが一人の按摩で、年の頃は四十そこそこ、顔の左半分がひどい火傷をしている。呼び止められた按摩は一軒の家に入った。揉み療治を始めた按摩は相手の男が玉川の在方から出て来た庄右衛門であることを知る。近頃江戸では、庄右衛門とその弟の清右衛門の兄弟の話題で持ちきりだったが、それは悪い評判だった。十何里も向こうの多摩川から江戸へ水を引っ張ってこようということだがそんなこと出来るはずがない。大嘘ついて幕府から御下げ金を貰って、それを懐へ入れて人夫たちには給金も払わないというようなことだった。
 庄右衛門は按摩だけには真実を語りたいという。家康公が江戸に入府し、最初に一番困ったのが水をどうやって得るかであった。そこで井の頭の水を江戸市中に引いて出来たのが神田上水である。しかし江戸という町は予想以上に発展し、また水が足りなくなった。そこで今の上様の時に兄弟が立てた多摩川から水を引くという目論見が認められ、兄弟に工事は一切を任せるということで御下げ金も渡された。江戸の何十万という人々の命の水を引っ張ってくるという大役を仰せつかり、この使命を果たさなければとの思いであった。
 工事は始まったもののいろいろ誤算があり幕府から貰った御下げ金が無くなってしまった。そこで自身の村の山林・田地田畑・家屋敷を売り払い、私財をなげうったが、その額は御下げ金の三倍にもなる。それでもまだ金が足りない。明日は十一月の晦日である。それまでに給金を払わなければひどい目に遭わせると人夫たちが騒いでいる。今、弟の清右衛門が金の工面に廻っているが、そういう事を考えているうちに身体が凝ってきて、それで按摩を呼んだ、こういう次第である。
 今、水道は幡ヶ谷の不動の森という所まで工事は進んでいる。幡ヶ谷といえば目と鼻の先である。あと三百両の金があれば工事は完成するという。それだけの金もこの兄弟には工面できない状態だった。
 庄右衛門の話は終わり、今度は按摩が身の上話を語る。物心がつくかつかないかの頃、やかんの熱湯を頭から浴びて目が見えなくなり、顔にはひどい火傷を負ってしまった。五歳の頃、親に捨てられたところを、按摩の松の市という者が救ってくれて、按摩療治を教えてくれた。十歳の時に恩人は死に、松の市という名前を継いだ。按摩は京の都へ上って千両を収めれば検校になれる、また三百両を収めれば座頭になれる。せめて座頭にはなりたいと神様に願掛けしていた。この三十二年間、ケチにケチを重ねた。女房を持たないかとの誘いもあったがそれも断って、一人きりでいた。そしてついに来年春、京へ上り、収め金をして、座頭の位を貰えるというところまできた。
 そこで弟の清右衛門が帰ってきた。庄右衛門は療治代として、また座頭になれるお祝いとして按摩に一両という大金を与えた。按摩は喜んで金を財布にしまい、帰っていく。
 清右衛門はどうしても金を借りられなかった。人夫頭にあと十日待ってくれと頼むが聴く耳を持たない。明日どうしても払えないのならここまで造った水路は全部埋めてしまう、お前たちもぶち殺すと言う。兄弟はあとから誰が見ても分かるように書類をまとめ、お奉行様に工事はどうぞ続けてくださいという嘆願書をしたためる。
 夜が明け、明るくなってきた。幡ヶ谷では人夫三百人ほどが気勢を上げていた。そこへ兄弟がやってきた。私たちは殺されても構わないから、この水路だけは埋めないでくださいと頼む。そこで人夫の一人がある者から三百両を受け取ったと言ってくる。汚い金入れに入った三百両には按摩の竹笛が添えてある。昨夜の按摩・松の市の金だった。兄弟は雪の積もるなか、松の市を探したが、ようとして行方が知れなかった。
 工事は再開され、十二月二十五日までに四谷大木戸までの工事は完成した。人々は喜び、それから長きにわたってこの玉川上水の水は江戸の人と街とを潤す。兄弟は玉川の姓を賜り、百石ずつをいただいて旗本となって、水奉行として玉川上水の管理にあたった。按摩の松の市は江戸の人々の前に姿を現すことは二度となかったという。




参考口演:田辺鶴遊

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