『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『信玄鉄砲』あらすじ

(しんげんでっぽう)


【解説】
 野田城の戦いは1573(元亀4)年1月から2月にかけて、三河国野田城をめぐり、武田信玄率いる武田軍と徳川軍の間で繰り広げられた。武田軍はこの戦いに勝つが、この頃から信玄は病状が悪化し、4月には亡くなっている。一般には信玄の死因は病死であるとされるが、野田城の戦いで美しい笛の音に誘われて本陣を出たときに狙撃されて死んだという言い伝えもある。この読物はその伝説を基にしたもの。

【あらすじ】
 元亀3年、三方ヶ原の戦いで徳川家康を浜松城に追いやった武田信玄。翌年には三河国、野田城に攻めかかる。野田城では大将である菅沼信八郎定盈(すがぬましんぱちろうさだみつ)らが城を固めているが、いよいよ信玄が間近に迫ってくると、浜松城に早馬を飛ばして家康に救いを求める。援兵を送りたい家康だが、昨年信玄に大敗北を期したばかりであり、しかも領内は飢饉で兵糧の調達もままならない。援軍も兵糧もないまま、野田城では正月4日から戦いが始まり、わずか500人でもって3万有余の武田軍を相手にすることになる。
 2月14日の夕方、もうどうにもならないと菅沼信八郎は城中の主な者たちを集めて話し合い、武田の軍門に下らずに、悉く討ち死にすることが決まる。もう城中を兵で固めていおく必要はない。敵が攻めて来たらそこで討ち死にすれば良い。足軽2人ずつを見廻りに当て、大広間では大酒盛りが始まる。
 野田城の城中に横笛の名手で楽人の村松久左衛門という者がいる。徳川の家来であるが、菅沼とも親しくしており、彼の元を訪れていたところこの城で身動きが出来なくなってしまったのだ。菅沼は宵のうちに搦め手から城を出て岡崎へ帰るよう勧めるが、久左衛門は武田相手に明日、斬り死にする覚悟であるという。酒宴で久左衛門は衣服を改め身を清めて櫓に登り、夜が深々とするなか、この世の名残ばかりと心を込め笛を吹く。
 この時、信玄は本陣から野田城へ物見を送ると、酒宴が開かれ歌いつ舞いつの大騒ぎであるとの連絡が入る。また櫓の上からは、この上もない清らかな笛の音が聞こえると言う。忌の際に笛の音を聴いて楽しむとはどういうことであろう。何者がいるのであろうかと不思議に思う信玄。信玄自ら物見にいくことにし、本陣を出て野田城に近づく。笛の音は天人の舞かと思うばかりにいとも清らかに響き渡っている。世にはこのような名人がいるものか。信玄は馬を降り、松の大樹の元、床机に腰掛ける。
 さて、城中では軽部太郎兵衛、鳥居才五、2人の足軽が鉄砲を持って見回りに出ている。塀の上から見てみると、闇の中で松の木の下、法師武者のような者が床机に座っている。城の様子を伺いに来たに違いない。脅かしてやろうと、種子島で狙い定めてパァーンと撃つと、軽部の弾が当たった。あれは信玄かもしれない。翌日の斬り死には取り辞めになり、籠城となった。後に弾の当たった相手は信玄であったと聞いて軽部太郎兵衛は大いに驚く。この時使った鉄砲は『信玄銃』と呼ばれ、菅沼家代々の家宝になったという。




参考口演:宝井琴梅

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system