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『三十三間堂誉れの通し矢』あらすじ

(さんじゅうさんげんどうほまれのとおしや)


【解説】
 若手がしばしば掛ける読物で、前座さんが演じることも多い。1686(貞享3)年4月に京都・三十三間堂で通し矢が行われ、和佐大八郎(わさだいはちろう)が8133本の矢を射抜き、天下一になる。その際にそれまでの天下一であった星野勘左衛門が大八郎の手助けをしたというエピソードを講談に仕立てたもの。

【あらすじ】
 尾張大納言光友の家来、星野勘左衛門(かんざえもん)は日置流(へきりゅう)の弓術の名人であり、800石の禄を頂き藩の弓のご指南番を務めている。天和2年、京都・三十三間堂で通し矢を行い、明け六つから暮れ六つの間に8000本の矢を通して「日本総一」の額を揚げる。この時の相手は紀州藩の指南番で小笠原流の弓の名人、吉見台右衛門(だいえもん)で、彼の通した矢の本数は7650本でわずかに及ばなかった。当時、尾張藩と紀州藩は犬猿の仲であって、これでは主君に会わせる顔がない、台右衛門は腹を真一文字に掻き斬って自害する。このとき台右衛門の弟子の和佐大八郎(わさだいはちろう)はまだ13歳であったが、なんとしても師の恥辱を濯ぎたいと強く思う。雨の日も風の日も弓の稽古を重ね、その腕をあげる。
 18歳の時、大八郎は主君の光友に対して通し矢を願い出、もし仕損じたならば腹を切って命を絶つと言う。これを受けて紀州藩から京都所司代に申し出があり、三十三間堂で通し矢が催されることになる。大八郎は次々と矢を放つが、1本も外れる矢は無い。目標の1万本の半ば、5千本まできたところで一旦休憩になる。医者が大八郎の身体を診ると両方の腕が赤黒くなっており、そこに薬を塗る。
 通し矢は再開され大八郎は矢を放つが、今度はなかなか矢は当たらない。二・三十本という矢が的から外れる。すっかり動揺してしまい、大八郎の目には涙が溜まる。見物のうちからは「腹を切れ」と野次が飛ぶが、これは尾張藩の手の者であるか。大八郎は弓を投げ捨て、小刀を腹に突き立て自害しようとする。この時「お留まりあれ」と一人の面体を隠した浪人風情の男が駆け寄る。男は腰から小刀を抜き、大八郎の腕・肩の凝ったところをブスリと切ると、黒い血がピュッと吹きだす。すると大八郎の疲れはすっかり取れる。大八郎は礼を言い、男は見物の人の中に戻る。
 大八郎は再び矢を放つと1本として外れる矢はない。暮れ六になるまでに、大八郎は通した矢は8133本で、見事、尾州・星野勘左衛門の数を上回った。こうして「天下第一」の額を三十三間堂に掲げることが出来た。
 紀州の藩士も喜び、その夜は宴が催される。すると一人の立派な身なりの侍が現われた。大八郎がその顔をしげしげ見ると、先ほど助けてくれた浪人風情の男である。男は自分こそが、星野勘左衛門であると名乗る。勘左衛門は藩同士の面子の争いから、優れた者が次々と命を落としていることに心を痛めていた。そこで見物人の中に紛れて、大八郎を見守っていたのだ。2人は義兄弟の契りを結ぶ。この話は光友公の耳にも入り、以後は紀州藩と尾張藩で無駄な争いはしなくなったという。




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