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『仙台の鬼夫婦(伊達家の鬼夫婦、井伊直人)』あらすじ

(せんだいのおにふうふ・だてけのおにふうふ・いいなおと)


【解説】
 連続物である武芸物『寛永御前試合』の中の一部で、この部分だけが一席物のようによく演じられる。『伊達家の鬼夫婦』『井伊直人』という演題もよく使われる。ダメな夫を武術を通して妻が立ち直らせていくという、いわゆる賢妻の読物で、女流の演者が好んで掛ける。妻が夫を挑発するする場面で、神田派では「ヘイ・カモ〜ン」という台詞がお馴染みである。『寛永御前試合』は1632(寛永9)年に将軍・家光の前で行なわれたと言われれ、井伊直人とその妻の貞が試合に参加したとも伝えられるが、歴史的信憑性はないとのことである。

【あらすじ】
 三代将軍家光の時代の話。奥州仙台62万石の主、伊達政宗の家臣で井伊直人という者がいた。幼名を仙三郎といい、子供の頃に母親を亡くし、父親の直江もまた奥州・松川で上杉、佐竹両軍と戦って討ち死にしている。20歳で元服し井伊直人として家督を相続し、禄高800石の伊達家の家臣となった。しかし、碁会所に通ううちに賭け碁に凝るようになり、次第に家の財産を食い潰すようになる。嫌気の差した奉公人はあらかた去ってしまい、ただ一人中間の作蔵のみが屋敷に残る。
 直人21歳の時のある日、親友の中村平三郎が屋敷を訪れる。砂子三左衛門(いさごさんざえもん)という家臣の娘で、仙台の弁天娘と呼ばれるお貞が直人に恋をしており、彼女を妻に娶ったらどうかと勧められる。迷った直人だが、持参金が300両と聞いて喜んでお貞を嫁に迎え入れることにする。
 中村の媒酌の元、婚礼を挙げた直人だが、賭け碁狂いは一向にやまず、手に入れた持参金の300両もあっという間に使い果たす。直人はお貞に頼んで実家から金を借りるようになるが、これもあっという間に300両にまで膨れ上がる。「これで最後だから」と直人はお貞に50両の借金を頼む。お貞は条件を付けた。自分と剣術の勝負をして、もし直人が勝てば望み通り借りた50両を手渡す。もし直人が負けたならその50両を持って仙台を去り修行の旅に出て下さいと言う。これを受けた直人は、お貞と屋敷内の道場で勝負をする。直人は木剣お貞は薙刀。女なぞに負けるはずはないと思った直人だが、お貞に激しく打ち込まれて向う脛を打たれあっという間に敗れる。約束通り直人は仙台を去って江戸へ向かい、木挽町の柳生飛騨守宗冬の道場へと入門する。
 5年間の修行を積み、直人は仙台へ帰り、お貞と再会する。屋敷のなかの道場で再びお貞との勝負が始まる。5年間の間に腕の上がった直人には、お貞の構えに全く隙がない事が分かる。直人は2度3度打ち込み、両者激しく立ち回るが、結局はお貞が胴を決めまたもや直人は敗れる。「今一度修行をし直してきて下さい」。お貞は直人の襟首を持って屋敷から放り出す。再び江戸・木挽町の柳生宗冬の元、直人は3年間の修行をする。直人の腕前はメキメキ上がり、今や師匠にも勝るほどである。
 そして仙台の屋敷に帰った直人。勝負もすることなく直人の姿を見るなり「参りました」とお貞は言う。その道を極めると、その人の立ち振る舞いで腕前が分かる。直人の腕はすでに一人前であるとお貞は見抜いていた。
 立派になって戻って来た直人を祝って親戚一同が集まる。その場でお貞の父親である砂子三左衛門は直人に打ち明ける。かつて奥州・松川にて上杉、佐竹と戦った際、三左衛門は危ういところを直人の父親である井伊直江によって助けられたが、そのために直江は命を落としてしまった。それ以後、直江の遺児である直人のことをずっと見守ってきた。直江が掛け碁に夢中になり身を持ち崩している事を知ると、娘のお貞を嫁にやって、直人が立ち直るように仕向けたという。
 それから二人は仙台藩の武芸指南役に任命される。日本広しといえども、夫婦で武芸指南役を務めるのはこれが唯一である。鬼のように強い夫婦なので、いつしか『仙台の鬼夫婦』と呼ばれるようになる。後に将軍がご覧になる『寛永御前試合』に多くの武芸者と共にこの夫婦も加わるという、井伊直人と妻お貞2人の話。




参考口演:宝井琴柑

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