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『魚屋本多』あらすじ

(さかなやほんだ)



【解説】
 藤枝・田中城の城主、本多隼人正(はいとのしょう)は屋敷から窓から外をのぞいていると、三十二、三歳の魚売りの男が水呑に酒を注いで飲んでいるのが見える。その水呑に見覚えのある隼人正は、その魚売りの宗太郎を呼び入れ、彼に出自について問いただす。かつて尾張で徳川と秀吉との戦があり、その戦いに参戦した隼人正が土地の娘と間違いを犯して産まれたのが、この宗太郎であったことが分かる…。

【あらすじ】
 本多隼人正(はいとのしょう)正矩(まさのり)は藤枝・田中城の城主で、酒を飲むと借りてきた猫のようにおとなしくなることから「猫本多」とも呼ばれている。この日も麹町の上屋敷で酒宴が催されるが、三杯の盃でもう酒は飲めないという。ふと隼人正が窓下を眺めると、三十二、三歳の魚売りの男が石に腰掛け、水呑に酒を注いで飲んでいる。その水呑を興味ありげに見ていた隼人正は家来に魚屋を屋敷内に呼ぶよう言い付け、2人は対面する。彼は名を宗太郎といい、女房と息子がひとりいると言う。振舞われた酒を宗太郎は次々に飲み干す。隼人正は正太郎が腰にぶら下げている水呑について尋ねると、宗太郎は語りだす。彼が生まれる前、尾州小牧山在徳本寺という場所にひとりの爺さんと娘のお種が暮らしていた。その頃徳川と秀吉との戦があり、徳川の落武者があちこちに逃げ込んでいた。徳本寺には1人の若い武者が駆け込み、爺さんとお種は世話をするが、その間にその武者とお種は間違いを犯し、武者は「もし後日子が生まれたならこれを証にせよ」と1つの水呑を渡し、名も言わずに去っていったという。そのお種が産んだのが宗太郎であるが、お種は翌年には亡くなり、宗太郎は爺さんに育てられる。爺さんは今際の際に水呑を渡し、宗太郎はそれを頼りに江戸へ出て父親を捜しているという。
 宗太郎の話を目を閉じてじっと聞いていた隼人正。自分こそがその時の武者で宗太郎の父親であると語る。しかし身分が違い過ぎるので、父だとの名乗りは出来ないと話すと気の短い宗太郎は怒りだす。隼人正は、お種と爺さんの葬られた寺に50石を与えるという。さらに宗太郎に明日から魚屋は辞めて、隼人正の側用人となって本多宗太郎と名乗るようにという。また宗太郎の息子が20歳になったなら分家として200石を与えるという。翌日、隼人正と宗太郎、女房、息子3人のと対面が叶う。息子の宗吉は20歳になって旗本となり、本多宗吉として堀端二番町に本多の分家を構える。父親が魚屋であったことから鯛2匹を逆さにした姿を家紋にし、徳川の世が終わるまで家は栄えたという。




参考口演:宝井琴梅

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