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『徂徠豆腐』あらすじ

(そらいどうふ)



【解説】
 荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666〜1728)は江戸時代中期の儒学者。 この『徂徠豆腐』は徂徠が幕府側用人の柳沢吉保に重用されたことから「柳沢昇進録」の一部として読まれることがあり、また、元禄赤穂事件の際には赤穂浪士の切腹論を主張したということで「赤穂義士外伝」のひとつとして読まれることもある。最近は落語でも演じる人が増えている。

【あらすじ】
 元禄の頃の話。儒学者の荻生徂徠(おぎゅうそらい)は芝に学問所を開くが、弟子はなかなか集まらない。最初のうちは身の回りの物を売って生計を立てるが、まもなく売る物も無くなりいよいよ生活が成り立たなくなってくる。11月の中頃のこと、今日で3日間なにも食べていない。「とーふ、とーふ」表を豆腐売りが通りかかると冷奴を1丁買い求め、醤油を少しかけあっと言う間に食べてしまう。豆腐売りは上総屋七兵衛という。代金は4文だが、細かい金がないからと支払いは次回にしてもらう。その日その後に口に入れるのは水ばかり。翌日の朝、七兵衛からまた冷奴を買い求める。今度はなにもつけずに食べてしまう。今日も細かい金がないからと支払いは先延ばしにしてしまう。この繰り返しで5日目、今日七兵衛は釣銭を準備してきたという。ここで徂徠は「細かい金がないなら大きい金もない」と打ち明ける。おかしな理屈に妙に納得してしまう七兵衛。ならば晦日にまとめてと七兵衛はいうがそれも当てがないと答える。聴けば豆腐1丁で1日を過ごしていると言う。徂徠の家には書物が山ほど積まれているが、本は自分の魂だがら決して売らないとの言葉に七兵衛は感心する。七兵衛はおにぎりを毎日持って来ようと言うが、自分は乞食ではないからとこれを断る。またも感心した七兵衛は商売の残り物である「おから」を煮付けて持ってくることにし、徂徠もそれならばと受け入れる。それから毎日毎日、親切な豆腐屋はおからを徂徠の元に届ける。
 七兵衛は熱を出し7日間ほど自宅でウンウンうなされ、徂徠の家には行けなくなる。元禄15年12月14日、久しぶりに徂徠の家を訪ねるが不在である。そしてその夜半、本所松坂町の吉良邸に赤穂浪士が討ち入りをし、翌日江戸の町は大騒ぎである。
 その最中のこと、隣家が火事になりそのもらい火で上総屋は全焼。七兵衛夫婦は着の身着のままで逃げ出すが、何もかも失い一文無しになる。友達の家へ身を寄せているが、そこへ大工の吉五郎という者が七兵衛を訪ねてやって来る。吉五郎は当座の分だとして十両の金を与え、焼け跡に普請をしていると言うが、何のことだか七兵衛はさっぱり分からない。
 年が明けて2月の初旬のこと、吉五郎が立派な姿の武士と共にやってくる。このご武家こそ「冷奴の先生」荻生徂徠である。七兵衛が家に来なくなって2日目のこと、柳沢美濃守様から登用され八百石取りの身分になったと徂徠は語る。七兵衛から受けた恩を深く感謝し、その時の豆腐代及びお礼として今日また10両の金を与え、さらに七兵衛夫婦のため豆腐屋の店を新しく普請して引き渡した。徂徠の口利きで芝・増上寺への出入りが許され、またこの上総屋の豆腐を何もつけないで食べると出世するということで評判になったという。




参考口演:宝井琴調

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