『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『出世馬喰(加藤孫六)』あらすじ

(しゅっせばくろう・かとうまごろく)



【解説】
 『出世馬喰』『加藤孫六』両方の演題ともよく使われる。馬の行商の手伝いから始め、伊予松山藩20万石の大名にまで昇りつめた加藤嘉明(かとうよしあきら)(1563〜1631)の出世譚。府中の馬市をのぞいていた孫六という子供。ヒョイと馬にのり、そのまま与兵衛という馬喰の家で住み込みで働く。せっせと商売の手伝いをしながら、馬を見る目や扱い方を確かなものへとしていく。21歳のとき、与兵衛の家を出、長浜の城主・羽柴秀吉に見出される…。

【あらすじ】
 三州岡崎5万石、松平広忠の家臣で800石取りの加藤三之丞は三河一向一揆に加勢して失脚。倅の孫六とともに遠縁である駿河の名主の元に身を寄せていた。孫六14歳の時、三之丞は病に罹り、尾張国織田家には弟である加藤権兵衛がいること、またいつの日か加藤家を再興して欲しいと孫六に言い残してこの世を去る。
 府中の街では賑やかな馬市が開かれている。市をのぞいていた孫六は、大きな青い馬を細かいところまで見て「いい馬ですね」と馬喰に語りかける。この馬喰の名は与兵衛といって近江国長浜の在であるという。気を良くした与兵衛の前で、孫六はヒョイとこの馬に乗りどこかへ消えてしまう。所も名前も分からない15から16歳の子供に自慢の馬をさらわれてしまった。がっかりしながら我が家へ戻ると、家の前で先の子供が馬をせっせと拭き掃除をしており、こうして孫六は与兵衛の家の若い者になる。クルクル良く働きお喋りも面白く、与兵衛夫婦はすっかり孫六の事を気に入る。
 こうして数年経ち孫六は一人前の馬喰になっていた。21歳の時、孫六は修行の旅に出たいと言う。与兵衛夫婦は馬1頭を与え涙ながらに旅立つ孫六を見送る。孫六の商売の才覚で、半年も経たないうちに1頭の馬が11頭にまで増え、尾張国清洲城下、織田家を訪ねる。家の馬廻り役こそ加藤権兵衛で孫六の叔父にあたる人物である。権兵衛は11頭の馬を検分するが、1頭の馬のみ名馬ではあるが馬相が悪いとして除外すると言う。しかし孫六は劉備玄徳の例になぞらえこの馬の優秀さを説き、馬上に跨って見事この馬を乗りこなす。この乗馬の腕、ただの馬喰では無いと見抜いた権兵衛が身上を問い質すと、孫六は自分が権兵衛の兄、加藤三之丞の遺児であると打ち明ける。こうして孫六は木下藤吉郎の家来となり、賤ケ岳七本槍のうちの一人としてその名を天下に轟かす。加藤左馬助嘉明(さまのすけよしあき)と名を改めて、伊予24万石の大大名にまで昇りつめたという。





講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system