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『酒井の太鼓(さかいのたいこ)』あらすじ




 生涯のうちで百数度の戦いをした徳川家康が唯一惨敗したのが、三方ヶ原の合戦である。このとき家康はまだ血気盛んではあるが若輩な三十一歳。対して武田信玄は森羅万象ありとあらゆる道に精通した五十二歳。
 三河勢と甲州勢が相まみえたのが、浜松城から西へ一里半ほどいった三方ヶ原の地である。三河勢は名代の家臣らが獅子奮迅の勇を奮うが、次第に本陣へと追いやられてしまう。家康もここまでと思われたが、浜松の城まで逃げ込むことができた。家康が城へ入ってしばらく後、鳥居彦右衛門が血まみれでズタズタの姿で帰って来る。左の足には矢を射抜かれている。彦右衛門は甲州勢が攻めてくるので大手と搦手の橋を落とし東西南北の門を閉じ籠城の用意をするよう進言するが、家康は戦いから疲れて戻ってきた者が意気消沈しないよう、門は全て開けかがり火を明々と焚くよう命じる。また今夜は節分であるので年男である彦右衛門の音頭で城中にぎやかに豆をまくよう申し付けた。さらに節分の飾りはヒイラギ(柊)ではなく、仏事用のシキミ(樒)を使い、甲州勢との決戦で死を恐れぬ覚悟を見せるよう言う。
 かがり火は天を焦がさぬばかりで、城内はすっかり明るくなった。裃を着用した彦右衛門は左脚を引きずりながらも勇気凛凛と登場し、「福は内、鬼は外」と大声をあげ豆を撒くと城内はにわかに活気づく。
 やがて山県三郎兵衛尉昌景、馬場美濃守信房ら甲州の大軍が攻めてきた。山県、馬場の両名は、敵方が何も臆することなく門が開き明々とかがり火を焚き豆を撒いているは何か計略があるからではと、軍勢を止めた。敵の心中察しがたく攻め入ることが出来ない。
 浜松城では徳川四天王のひとり酒井左衛門尉忠次が櫓に昇るが、見渡すと辺り一面甲州の軍勢に取り囲まれている。一人の坊主が時を告げる太鼓を打とうとするが手が震えてちゃんとした音が出ない。変わって忠次がバチをもち勇気をもって太鼓を叩き、音が浜松の空へと鳴り響く。この音は甲州方の本陣の武田信玄にも聞こえる。すぐにこの勇気こもった弛みのない太鼓の音は浜松の城のものであると分かった。三河勢は城を枕に討ち死にする決死の覚悟であると悟り、これでは敵を打ち破るのは容易ではなく、我が軍の損害も多かろうと、無益な戦は止めることにする。山県、馬場へ命を出し、甲州の軍勢は引き上げた。これを見た三河勢は喜び、山県、馬場が甲陽の赤鬼、黒鬼と呼ばれていたことから、これが本当の「鬼は外」になった。
 後、徳川の御代になって、節分の折には門を押し開き、ヒイラギの代わりにシキミを用い、年男がわざと左の脚を引きずって豆を撒いたと言われる。



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