『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『秋色桜』あらすじ

(しゅうしきざくら)



【解説】
 講談の中でポピュラーな読物のひとつで、前座から真打まで女流の方が掛ける機会が多い。「秋色桜」という名のヤエベニシダレザクラが上野公園の清水観音堂の傍らにあり、現在は9代目、樹齢は30年ほどであるという。
 お秋はまだ子供であるが「秋色」と名乗り、宝井其角から俳句の教えを受けその腕をメキメキと上げていく。上野の山を訪れた際に詠んだ「井の端の 桜あぶなし 酒の酔い」という句が宮様の目に留まる。それからはお秋はたびたび上野の宮様の元に伺うようになる。ある日のこと、お秋は宮様の屋敷の見事な庭を自分の父親にも見せたいと思い立つ…。

【あらすじ】
 元禄年間、日本橋茅場町に住む芭蕉十哲の一人宝井其角(たからいきかく)。隣は荻生徂徠(おぎゅうそらい)の家で、その反対側には寺子屋がある。子供が好きな其角はある日、寺子屋を訪ねる。壁に貼られた習字で見事に書かれた「寿」という文字。書いたのは「お秋」という名の七つの女の子である。聡明な子でこの前も俳諧というものがどのようなものか教えると早速「初雪や二の字二の字の下駄の跡」という句を作ったという。其角はこの話に感心する。お秋は其角の元で俳句の稽古をするようになり、めきめきと上達する。「秋」という名の下に「色」の字をつけ俳名を「秋色(しゅうしき)」と名乗ることになる。お秋の父親はその日暮らしの菓子屋の職人で豊かな家ではなかった。
 お秋が十三歳の時、手習いの師匠に連れられ上野の山に花見に行く。他の子供たちが嬉嬉として戯れ遊ぶなか、お秋はひとり清水堂の脇の大般若桜の花に見とれていた。すると向こうの方から職人体の酔っ払い二人がやってくる。一人の男は桜の木の脇の井戸に手を着こうとすると、もう一人の男は「落っこちてしまうぞ」といいながら男を抱えるようにして立ち去って行く。この様子を見たお秋は矢立を取り出し「井の端の 桜あぶなし 酒の酔い」と短冊に書いて桜の枝にぶら下げる。
 秋色の句が宮様の目に留まる。この句を詠んだのが其角の弟子のお秋だと分かり、宮様は彼女を呼ぶよう申し付ける。お秋と父親の六右衛門は奉行所に呼び出される。事情を知らない六右衛門は最初とまどうばかりであった。お秋は上野の宮様の元に伺うよう奉行から申し付けられる。翌日、お秋は上野の宮様の前に参上する。「柳に寄せる車」という題を与えられ、お秋は「青柳や車の下のこぼれ米(よね)」という句を見事に詠む。宮様から称賛され、たくさんの御褒美を頂いて自宅へと戻る。お秋はたびたび宮様の元に伺うようになり、また話を聞き付けた大名諸家からも声がかかるようになる。裕福になったお秋は小網町の表通りに家を買い「俳諧指南」と看板を掲げるようになった。
 ある日、お秋はこの日も宮様の元へ参上することになっていた。お屋敷の立派な庭を見てもらいたいと思ったお秋は、父親をお供の者と偽って同道させる。周りの者は彼がお秋の父親だとは誰も気づかない。夕方になり雨が降り出した。帰路、お秋は駕籠に乗り、雨具を借りた父親は提灯を持って駕籠を先導して歩いていた。上野広小路で駕籠のなかのお秋は突然腹痛に襲われたと告げ、駕籠屋に薬を買ってくるよう頼む。駕籠屋がいない間に、お秋は腹痛になったのは嘘だと父親に打ち明け、親が歩き子供が駕籠に乗るのは申し訳ないので入れ替わって貰いたいと言う。父親が駕籠に乗り、お秋は雨具で姿を隠して歩く。小網町の自宅に着き、お秋は偽って父親と入れ替わっていたことを駕籠屋に詫びる。駕籠屋は口止めされるが、いつの間にかこの話は上野中に広まった。お秋は孝女ということでお上から褒美を貰う。
 のちにお秋は照降町に煎餅屋を出す。この店は今も「秋色庵」という名で残っている。上野の清水堂の脇の大般若桜は代々植え継がれ、春には花を咲かせている。脇にはお秋の句碑が建ち、この桜は「秋色桜」と呼ばれている。




参考口演:神田香織

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system