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『寛永三馬術 出世の春駒』あらすじ

(かんえいさんばじゅつ しゅっせのはるこま)




【解説】
 数ある講談の読物の中で、もっとも「講談らしい」話であり、講談を代表する一作といえよう。故・五代目宝井馬琴の十八番中の十八番であった。『誉れの梅花』『愛宕山・梅花の誉』などの演題も良く使われる。連続の武芸物『寛永三馬術』では、曲垣平九郎、向井蔵人、筑紫市兵衛の3人の馬術の名人が主人公になるが、この話は最初の部分になり、曲垣平九郎が将軍家光公の前で名を上げる。

【あらすじ】
 寛永11年正月28日、三代将軍家光公が千代田の城をお出ましになり、大勢の旗本衆とともに芝・増上寺へご参詣になって父親・秀忠の菩提を弔う。往きは駕籠を使い、帰り道は、馬に乗っていくと言う。帰路、芝・愛宕山に差し掛かると、山上から風にのって梅の花の良い香りが漂ってくる。見ると山上に紅梅、白梅が見事に咲いている。「あの紅梅、白梅を一枝ずつ手折って参れ」。旗本二人が取りに行こうとすると、家光公は馬に乗って取って参れと言う。愛宕神社には186段の石段がそびえるようにある。旗本二人は突然腹が痛み出しその役目は出来ないという。誰でもいいから梅花を折ってくるよう家光公は叫ぶが、誰も引き受ける者はおらず、家光は怒りだす。「かくなる上は世が直々に昇って見せる」。家光は石段に向けて馬を走らすが、近くで見ると大変に急峻な石段である。「決して誰も止めてはならんぞ」と言いながら実は誰かに止めて貰いたい。結局は松平伊豆守に押し留められる。
 伊豆守がくじ引きを作り、藤堂の家来の山本右京忠重、佐竹の家来で鳥居喜一郎重房、水戸の家来で関口六助信連の3人が選ばれる。まず右京が立派な馬に乗り石段を駆けあがる。7合目まで上がったところで馬がピタッと止まり、下を見るとブルブルッと震え、入れてはいけないところで鞭を入れてしまった。馬はガラガラ・ドスンと石段から転がり落ち、右京も馬も絶命する。次に馬に乗った鳥居喜一郎が石段を駆けあがるが、やはり7合目まで上がったところで馬が止まってやはり転がり落ちる。3人目の関口六助も同様に転げ落ち、命を落とす。父親の命日にえらいことになってしまったと家光は嘆く。
 伊豆守はいったんここは城へ帰ることにする。「還御(かんぎょ)」の声が響き渡るなか、「しばらく」という叫び声がする。梅花を手折ってくると言うこの者は、丸亀・生駒家家臣で間垣平九郎盛澄という。伊豆守は彼が、日本一の馬術の名人と伝え聞いていた。さぞ立派な馬に乗っているだろうと思いきや、平九郎の乗る馬はやせ衰えた馬で、左足に怪我をしている。石段を駆け上がった馬は、7合目でピタッと止まった。馬が休まるのを待って、口に岩塩を含ませる。手拭を取り出し馬の耳を丁寧に拭く。「上の方は平らで楽だ」。一気に頂上へ乗りあがる。下からウワッーと歓声が挙がる。
 手水で馬に水を飲ませ、自らの身体を清よめ、社で武運長久の祈願をする。枝ぶりの良い紅梅、白梅を折って襟に差す。今度もまた石段を下ろうとする。下にいる将軍たちは安全な女坂の方へ廻れと言うが、平九郎には聞こえない。馬は186段の石段を無事に一気に駆け降りた。平九郎は家光公から日本一の馬術の名人だと讃えられ、刀一振りを与えられる。このあとやはり馬術の名人である向井蔵人、筑紫市兵衛が加わって馬術競べをするという、『寛永三馬術』のなかより「出世の春駒」の一席。




参考口演:宝井琴調

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