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『寛永三馬術 松浦潟の血煙』あらすじ

(かんえいさんばじゅつ まつらがたのちけぶり)


【解説】
 連続の武芸物『寛永三馬術』では、曲垣平九郎、向井蔵人、筑紫市兵衛の3人が主人公になるが、この話は筑紫市兵衛に関する導入部分となる。
 肥前国唐津城の城主である寺沢志摩守の子息が、薩摩国島津家から嫁を迎えることになる。しかしその宴席で島津家の重役である宍戸右源太が唐津藩の悪口雑言をさんざんに言う。藩や殿の恥辱をそそぐべく、家来である筑紫市兵衛は帰り際の右源太を斬るが、市兵衛には思わぬ処分が下されることになる…。

【あらすじ】
 寺沢志摩守広高は肥前国・唐津12万3千石の城主である。家来には150石取りで筑紫市兵衛という馬術の名人がいる。志摩守には堅高(かたたか)という25歳の跡継ぎがおり良い嫁を迎えたいと常々考えている。ある時薩摩・島津家から桃園姫が堅高の元、お輿入れになることが決まる。侍36人、女中24人という島津の一行は乾坤丸に乗船し、唐津の港に上陸した。
 宴が始まると、島津家の重役である宍戸右源太という酒乱の者が騒ぎ出す。島津家は源頼朝以来のお家柄で77万石の大身。対して寺沢家は家康から12万石を拝領しているだけ。小身の寺沢は相撲のフンドシ担ぎのようなものだと馬鹿にする。この態度に対し寺沢家の家臣の者たちは怒りでいっぱいだが、市兵衛は今日一日のことだからと懸命になだめる。
 宴が終わり、市兵衛は屋敷に帰る。家には母が一人いる。市兵衛は39歳であるが母親の世話のため妻を娶ろうとはしない。市兵衛は宴の際に受けた恥辱が気になってなかなか寝付けない。
 薩摩の者たちは翌朝早く、国へ帰るために屋敷を出る。港には乾坤丸が停泊しており、はしけを渡って乗船しようとしている。そこに市兵衛が駆け寄って来て、右源太に向かい「昨夜の宴での言葉は本心からか、酒の上の事でか」と問い質す。薩摩武士である右源太は「酒の上」でとは言えず「本心である」と応える。すると市兵衛は右源太に斬りかかる。右源太は槍の名手であるが、腕は市兵衛の方が勝りついには斬り倒してしまう。藩の重役が殺されたというのに、面倒なことに関わりたくないと薩摩の者たちは反撃もせずそのまま船で去ってしまった。
 ただちに市兵衛は殿の志摩守の前に呼び出される。右源太は宴席で唐津藩の悪口雑言を並べていた。その右源太を斬り殺し、殿の恥辱をすすいだのだから何かお褒めの言葉を頂けるものだと市兵衛も周りの者も思っていた。しかし島津の家との関係を重く見る志摩守は、市兵衛を捕縛し相手方にその身を薩摩側へ引き渡すようにと家来たちに告げる。殿の名誉のために相手を斬りつけた市兵衛を捕らえてよいものかと周囲の者たちが困っていると、家老の塚本織部という者が現れる。織部は主君のためあるいは藩のために刀を抜いた者に罪はない。もし市兵衛を断罪するなら他の家来の者たちも一同この藩を去るだろうと殿に迫る。志摩守は仕方なく、市兵衛を長の暇(いとま)を言い付けることでその場は収まった。
 浪人の身となった市兵衛は肥前を去り、3年後には野州・宇都宮で大きな事件に遭遇するがその話は別の機会に。




参考口演:田辺一乃

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