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『五郎正宗孝子伝』あらすじ

(ごろうまさむねこうしでん)




【解説】
 この読物は登場人物が多く、次から次へと意外な(強引な?)展開を繰り広げ、いかにも講談らしいと言えよう。
 刀鍛冶の行光(ゆきみつ)の元には五郎という子供の弟子がいる。五郎の持っていた短刀から、この子は行光が京都に赴いた際に現地の女性と間違いをおかして出来た息子であることが分かる。行光の妻である「おあき」にもこのこのことが知れると、おあきは五郎に酷い仕打ちを繰り返すようになる。それでも母親への孝心を忘れない五郎であった。おあきは五郎の飯に毒を入れて殺そうとする。それに気付いた五郎は叔父の元へ駆け付ける…。

【あらすじ】
 鎌倉雪ノ下に住む刀鍛冶、藤原三郎行光(ゆきみつ)は立派な腕前があったが金力に乏しく生活に事欠いていた。同じ鎌倉に住む財産家、森川馬之丞(うまのじょう)という方は行光の腕を見込んで一人娘、「おあき」を嫁にやる。これがきっかけで行光は相模国の宗匠と呼ばれる身にまでなった。おあきとの間には秋太郎という息子ができたが、生まれながらにして利口ではない。
 秋太郎十二歳の時。三日前に弟子になったばかりの五郎という子供と行光二人きりになった。五郎は父親の事について尋ねられ、母親のお腹の中にいるうちにどこかへ去ってしまったと答える。その父親が残した物だと短刀を差し出し、行光がそれを見るとこれはまさしく自分が造った刀である。五郎は行光の息子であったのだ。行光は三年に一度、京都に上って公家の刀を打つが、その時世話になった女と間違いがあって出来た子供であった。母親は五郎が生まれて直に死んでしまったという。行光はこの五郎は自分の息子だと周囲の者に打ち明けたい。しかし女房のおあきは大変なやきもち焼きで、この事が分かってしまっては五郎はひどい目に遭うだろうから、いましばらく師匠と弟子の間柄でいてくれと頼む。用事が済んで戻っていたおあきは行光と五郎の会話を陰から聴いていた。怒り心頭のおあきは「やきもち焼き」と言われたことに反発する。結局、五郎は行光の子、秋太郎の兄だとして披露する事になった。
 自分の産んだ秋太郎は愚か者だが、五郎は利口。この身代もやがて五郎に取られてしまうだろうと思うと面白くない。おあきは五郎が憎くてたまらず、何かにつけいじめる。これを見た他の弟子たちは、おあきのあまりにひどい仕打ちに憤る。
 ある時、おあきは病気になりどんどん悪くなっていく。真夜中、五郎がどうか母親の病気が治るようにと願掛けしているのを、弟子の一人の行平が見る。おあきの病気はまもなく良くなった。行平は五郎が真夜中に母親の平癒を祈っていたとおあきに告げる。ところが、おあきは五郎を呼び付けて自分が死ぬよう祈っていただろうと言いがかりをつけ、脇にあった薬鍋で殴りつける。五郎の額は割け血が出た。他の弟子たちは五郎をいたわるが、五郎は自分が悪いのだと言い、弟子たちは一層哀れに思い泣く。宗匠の行光はそこへ帰ってきた。五郎の額の傷を見てどうしたのか聴くが、台所の棚から鍋が落っこちてきたと言う。
 さらに、おあきは手に入れた毒を五郎の食べるご飯に混入して殺そうとする。未然にこれに気付いた五郎は二日間ご飯を食べない。五郎は坂ノ下の住む父親の弟の進藤国光(くにみつ)の元に行く。母親が毒を使って自分を殺そうとしているが、自分が死んでは刀鍛冶を継がせようとしている父親が嘆く、あるいは母親の望むように自分は死ぬべきか。女房の尻に敷かれている兄を情けなく思う国光は、意見しようと兄行光の元に向かう途中で行光と鉢合わせした。行光は国光の家へ行く。行光もおあきの五郎に対する横暴を知っている。五郎の額の傷を見た時も、母親に殴られた言われればすぐにでも離縁するつもりだった。しかし五郎は父母の仲を丸く収めようと嘘を付く。その五郎の心を無下にするわけにはいかない。今の自分の官禄はおあきの父親である森川様が出してくれた金があってのもの。義理のある方の娘とは離縁できない。悲しみのあまり泣く親子。
 行光に用事があり訪ねていたおあきの父、森川馬之丞は、陰から一部始終を聞いていた。罪なき孝子、五郎に折檻する我が娘おあきを斬ると馬之丞は言う。それを止めようとする国光。このいざこざの間に五郎は抜け出し家へ戻った。「お爺様がお母様を斬りにくる」とおあきに告げるが、なんでそんな嘘を付くのかと、五郎を物差しで叩きつける。そこへ入って来た馬之丞は、娘を斬ろうとする。おあきは畳のヘリにつまずいて倒れ込んだ。とっさに五郎は母親の背中にかぶさり助けようとする。森川が振り下ろした刀で五郎は背中をざっくりと斬られる。母親にかわいい子だとひとこと言って欲しかったと傷を負った五郎は言う。おあきも改心した。高宮稲荷大明神に祈願すると、神も孝心に感心し祈りが通じたのか五郎は一命を取り留めた。背中に大きな刀傷を負ったことから五郎はその後「背割り正宗」と呼ばれるようになったという。




参考口演:一龍斎貞山

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