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『紀伊國屋文左衛門 宝の入り船(きのくにやぶんざえもん たからのいりぶね)』あらすじ




 江戸時代は承応三年、四代将軍・家綱の時の話。紀州和歌の浦で廻船問屋を営んでいた紀伊國屋文左衛門。父親の代からの廻船問屋で、一時は繁盛したものの、今は船を質草に出すほど窮している。文左衛門はいい儲け口はないかと考えていた。紀州はみかんの産地。今年はみかんの当たり年で大豊作である。しかし八月の末から九月の頭にかけて逆風ばかりが吹いていて船が出ない。江戸ではみかんの値が上がっているだろう。このみかんを船で運んでいったら大儲けが出来るに違いないと文左衛門は考えた。
 舅の藤波河内という方に頼み込んで、千両という金を元手に明神丸という古い船を質から請け出した。続けてみかん問屋を訪れ、大量のみかんを安く買い付ける。次に探したのが船乗り。千八という者は名代の道楽者だが度胸があり腕はしっかりしているとのことで、文左衛門はこの男の家を訪ねる。すると船乗り仲間が五六人集まっており、時化続きで仕事がなくこの先どうしようかと相談していた。文左衛門は江戸までの航海を頼むが男たちにこれほどに海が荒れていては無理と断られる。その時、隅にあった大きな俵がゴロゴロと文左衛門の前に転がってくる。俵から首を出したのは千八の女房だった。今朝ご飯を炊くのに米がないので着物を売って米を買い、着る物が無いので俵の中に入っていたという。女房は千八に江戸行きを勧める。文左衛門は給金に一人あたり片道五十両を出すと言う。五十両という破格の額を聞いた千八をはじめとした一同は気がコロリと変わり、江戸への航海を引き受けた。
 十月二十八日、風向きは西側にガラリと変わった。和歌の浦を出航した明神丸。荒れ狂う海を乗り越え、十一月一日、船は江戸に姿を現した。このことは江戸中の評判になり「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀の国みかん船」と唄われるようになる。これを機会に文左衛門は豪商へと出世し、後世に名を残すことになる。



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