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『英国密航』あらすじ

(えいこくみっこう)



【解説】
 文久3年、長州藩藩主、毛利敬親(たかちか)は西洋の優れた技術・文明を学ばせるためイギリスへの若者の派遣を決める。三名の若者が敬親公から命を受けたが、どうすればイギリスへ行けるのかが分からないし、そもそも幕府の許可なしに海外へ渡ることは禁止されている。そうなるとイギリスまで密航するしかない。5月12日、長州藩の若き俊英、五人を乗せたチェルスウィック号が横浜港を出港する。
 ほぼ史実に沿った読物である。特に田辺派の方々が演じると、一鶴譲りである、横浜からロンドンまでの道中付けが楽しい。

【あらすじ】
 幕末の文久3年4月、長州藩第十三代藩主、毛利大膳太夫敬親(もうりだいぜんだゆうたかちか)公は、井上聞多(ぶんた)、野村弥吉、山尾庸三(ようぞう)の三人を御前に召した。敬親公は一人につき二百両の金を与えるのでイギリスに密航するよう言い付ける。果たして、二百両ほどの金でイギリスまで行けるものかと三人は迷う。そもそもイギリスがどこにあるのかもよく分からないし、教えてくれる者もいない。
 三人は江戸へと出るが、ここでも詳しい事は分からない。江戸麻布の藩邸には最近横文字を習っている伊藤俊輔という者がいる。足軽という身分だが松下村塾きっての秀才で、今では藩の鉄砲買い付けを任されている。彼なら何か知っているかもしれない。三人は俊輔を呼びつけイギリスにどうすれば行けるのか尋ねる。俊輔は横浜のジャーディン・マセソン商会の支配人と懇意にしているので、彼を紹介しても良いと言う。ただし一つ条件をつけた。自分もイギリスに連れて行って欲しいと言うのだ。さらにもう一人、遠藤謹助(きんすけ)が加わって、イギリスには五人で渡ることになる。
 伊藤俊輔は横浜のジャーディン・マセソン商会を訪ね、幕府の許可なしにイギリスに密航したい旨を告げる。それには一人あたり千両の金が必要だと支配人は言う。5人ならば五千両もの金がかかるではないか。諦めかけていたが、なんとしても彼の地に渡って、進んだ技術・文明を日本に持ち帰らなければならない。井上聞多は江戸・麻布の藩邸に行き、村田蔵六(ぞうろく)、後の大村益次郎に掛け合う。鉄砲買い付けのために藩に備蓄してあった一万両を担保に、なんとか出入りの商人から五千両を借りることが出来た。
 文久3年5月12日、横浜のジャーディン・マセソン商会に行き五千両の金を払う。桟橋よりチェルスウィック号という船に乗り、出航まで石炭庫に隠れている。いよいよ船は出航する。(講談ではこれより道中付け)紀伊半島沖を通り、瀬戸内海へ、そして4日目に上海へ着く。ここから井上と伊藤はペガサス号に、他の三名はホワイトアッダー号に乗り換える。インド洋から喜望峰へ、そして大西洋、ついにロンドンへと到着する。
 港には蒸気船、街には石造りの幾層もの建物、蒸気機関車に地下鉄、日本とのあまりの違いに五人は茫然自失になる。攘夷などという考えは一時のうちに消え失せた。
 この後、この五人はそれぞれ違う分野をイギリスで勉強し、日本に帰って、近代日本の礎を築く。日本外交の父となった井上聞多改め馨、初代内閣総理大臣になる伊藤俊輔改め博文、鉄道敷設に力を注いだ野村弥吉改め井上勝、造幣の父の遠藤謹助、工学の父であり盲・聾教育にも力を尽くした山尾庸三。長州ファイブと呼ばれる五人の若き日の英国密航のお話。




参考口演:田辺一邑

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