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『青の洞門』あらすじ

(あおのどうもん)



【解説】
 青の洞門は大分県中津市にある素掘りのトンネルで、中津市街から耶馬渓や羅漢寺へむかう途中にある。全長は342m。禅海和尚が資金を集めて1735年から工事を開始、ノミと槌だけで掘り続け、約30年後の1764年に完成している。菊池寛が1919(大正8)年に発表した短編小説『恩讐の彼方に』でも有名である。この講談は、その菊池寛の小説をベースにしたもので、人名や仇討の件など史実とは異なる部分がある。

【あらすじ】
 正徳元年というから徳川六代将軍・家宣の御代の話。中川三郎兵衛(さぶろびょうえ)という旗本の愛妾「おゆみ」は、愛人の市九郎と謀って三郎兵衛を斬り殺す。おゆみは三郎兵衛の3歳になる息子、実之助も殺そうがするが、市九郎はまだ子供だからと言ってこれを押し留める。さらに二人は金を奪って江戸を逐電した。木曽の山中で市九郎は病を患い動けなくなると、おゆみは有金をすべて持って逃走してしまった。なんとか命を取り留めた市九郎は大垣で住職の世話を受ける。住職にこれまで犯してきた悪事をすべて告白し、懺悔して真人間になった。仏門に入り、名を了海と改め9年間の修行の後、雲水の旅に出る。
 享保10年の夏、九州・豊前国、天下の奇勝として名高い耶馬渓の羅漢寺に着く。この羅漢寺に向かう道は、山国(やまくに)川に沿う断崖絶壁の難所で、通行人は難儀しており犠牲者も絶えない。この岩山に洞穴を開ければ人々が助かるだろうと、了海は岩の開削を決意した。了海が経文を唱えるとほんのわずかだけだが岩が砕ける。雨の日も風の日もこれを繰り返す。当初はこんな了海を近隣の者たちは笑ったが、次第に手伝うようになり、いつしか彼を生き仏様と呼ぶようにまでなる。
 こうして18年が経った。笠を被った一人の侍が「市九郎、見つけたぞ」と言う。彼は中川三郎兵衛の遺児、実之助であった。かつての市九郎こと了海は「さぞかし私をお恨みでしょう。どうぞ斬って下さい」と言う。村の者が間に入って止め、了海を討つのは、洞穴が貫通するまで待つことで話は着いた。実之助はこの地に留まり洞穴の完成を待つがいつまで経っても出来ない。実之助はいつしか了海や村の者と共に、作業を手伝うようになる。
 それからまた年月は流れ、洞穴の中で了海と30歳になった実之助は二人きりでいた。今日は父親、三郎兵衛の命日である。その時岩が崩れ、向こう側が見える。洞穴は貫通したのだ。了海も実之助も目は涙でいっぱいでである。了海はどうぞ私を斬ってくださいと言う。実之助は仇討は止めたと言う。人助けのために信念を貫き通したこの尊き方をもはや斬ることは出来なかった。実之助は了海の弟子となり仏の道に入る。了海が亡くなった後は彼の菩提を弔い、また村の人のために生涯を尽くしたという。




参考口演:宝井琴星

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