『講談るうむ』トップページへ戻る講談あらすじメニューページへ メールはこちら |


『石川一夢』あらすじ

(いしかわいちむ)


【解説】
 講釈師が演じる講釈師の名人伝。石川一夢は実在の講釈師で1804(文化元)年の生まれで1854(嘉永7)年に51歳で亡くなる。世話物、とりわけ『佐倉義民伝』を得意にしたのは読物中に出て来る通り。
 一夢は高座を務めたのち、夜の大川端を歩いていると心中をしようとする若い男女と出くわす。一夢は説得をして2人を思い留まらせる。事情をきくと2人は同じ店に勤めいつしか惚れ合う中になったが、やむを得ぬ理由から店の金、十両に手を付けてしまいどうにもならなくなったと言う。彼らのために一夢は自らのオハコ中のオハコ『佐倉義民伝』を質入れし十両の金を拵えたが、以後この得意ネタを演じることが出来なくなる…。

【あらすじ】
 幕末の江戸の話。石川一夢(いちむ)という世話物の講釈の名人がいた。中でも『佐倉義民伝』を語らせたら天下一品であるとの評判である。その一夢が両国の講釈場で高座を務めた後、ひとり夜の大川端を歩いている。すると暗闇から若い男女の「覚悟はいいか」「覚悟は出来てます」という声が聞こえる。川へ飛び込んで心中しようというのだ。一夢は慌てて襟首を掴み、身投げしようとする2人を引き留める。男は笹川五岳(ごかく)の倅で芳次郎(よしじろう)という。五岳は一夢の先輩の講釈師だが、何かにつけ一夢に嫌がらせをする、質(たち)の悪い男であった。真打昇進を一夢に先に越されてしまい、それが面白くなかったのか上方へと去ってしまった。
 一夢は心中しようとしていた2人を本所の家へと連れて行く。芳次郎は一夢に事情を語る。父親が上方へと行ってしまった後、芳次郎は浅草中町富田屋という古着屋に奉公していた。そこには仲働きとして勤めるこのお浜という女性がいた。お浜は小さい頃に両親と死に別れその後養父に引き取られたが、この養父がどうしようもない男で、酒やバクチで無一文になっては度々奉公先のお浜の元に金をせびりに来る。芳次郎とお浜はやがて想い想われる仲になり、末は夫婦になろうと約束する。そんな中またお浜の養父が金を無心に来る。私は奉公人の身の上なのでそんな金は出せませんと言うが、ついには店の金10両に手を付けてしまった。間もなく店では棚卸しがあり金を盗んだことも発覚してしまうだろう。そうして2人は心中を決意した、こういう訳である。芳次郎の父親には随分とひどい目に遭わされて来たが、今の自分があるのもあのイジワルのおかげである。恩人の倅には恩返しをしなければならない、しかし今の自分には10両という大金は用意できない、こんなことを考えながら一夢は床に就く。
 翌朝、一夢は相生町の伊勢屋万右衛門という質屋を訪ねる。なんと自分の一番の得意ネタである『佐倉義民伝』を質に入れ、それを形に10両の金を貸して欲しいと言うのだ。万右衛門もこれを引き受け、点取り(台本)と引き換えに一夢は10両の金を得る。芳次郎といお浜は無事に店の10両の金を戻して、旦那からも許しを得て、一夢が間に入って2人は夫婦になる。
 さて、一夢は両国の講釈場で『佐倉義民伝』の続きを読まなければならないのだが、質に入れてしまっているのでそれは出来ない。その日は『下総』繋がりで『累解脱(かさねげだつ)』の話をし、そこから『祐天吉松』を演じてごまかす。
 次の興行は日本橋にある翁亭という講釈場で、久しぶりに一夢が出るというので大変な人気である。やはり『佐倉義民伝』を読むことの出来ない一夢は『早苗鳥伊達聞書(ほととぎすだてのききがき)』と『天明白浪伝』を演じようとするが、客席からは「なぜ『佐倉義民伝』を演らないのか」との声が沸き上がる。困った一夢は『佐倉義民伝』を質入れしていることを打ち明ける。すると客たちは次々と高座の上に金を置き、あっという間に10両を上回る金が集まる。「かたじけない」一夢は涙を流しながら伊勢屋万右衛門の店へ駆け付け、『佐倉義民伝』を受け出して、また翁亭へと急ぐ。そこでは客は一人も帰らず、一夢が戻るのを待っていた。この日のことは江戸中で評判となる。ますます一夢は名人としての名を高め、今に至るまでその名は語り継がれているという。




参考口演:一龍斎貞寿

講談るうむ(http://koudanfan.web.fc2.com/index.html
inserted by FC2 system