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『宇喜多秀家 八丈島物語(宇喜多秀家 配所の月)』あらすじ

(うきたひでいえ はちじょうしまものがたり・うきたひでいえ はいしょのつき)


【解説】
 宝井派では『宇喜多秀家 配所の月』という演題を使う。宇喜多秀家(1572〜1655)は岡山城の城主で57万石を領する大大名であった。豊臣秀吉の養女である豪姫を正室とするなど、秀吉からの寵愛を受ける。関ヶ原の合戦では西軍に就き敗北するが死罪は免れた。1606(慶長11)年に八丈島へ流罪になるが、この読物はその八丈島でのエピソードとして伝わる話を題材にしたもの。

【あらすじ】
 天下分け目の戦い、関ヶ原の合戦で西軍の将として敗れた宇喜多秀家は無人島であった八丈島へと流罪になる。一方、秀家と同じく秀吉から大恩を受け、合戦では東軍に就いた福島正則は芸備64万石を領する大大名になっていた。
 慶長8年の事。関ヶ原の合戦の戦勝3周年の祝いに、正則は広島の名酒100樽を江戸の将軍へ贈ることになった。船の名は備前丸、この役を任されたのは大兼金右衛門。7月半ばに出港し8月15日には八丈島へ到達し、島影で風向きが変わるのを待つ。それまでの間、金右衛門と部下十人程が上陸し、本土とは様相が大きく異なるこの沖合の島を見物することにする。夕方になり船に戻ろうと浜辺まで行くと、ボロボロの身なりの男が現れる。無人島であるはずのこの島にどうして人がいるのか。金右衛門は無断で島に上陸したことを詫びる。自分は福島正則の家来であると告げると男は大層懐かしそうな顔をする。この男こそかつての備前岡山城57万石の主、宇喜多秀家であった。それを知って金右衛門とその部下たちは深々と平伏する。関ヶ原の合戦の戦勝3周年の祝いに酒を新しい将軍である秀忠公の元に届ける途中だというと、秀家は感慨深げにはるか西方の関ヶ原の方向を見る。秀家は酒を所望するが、贈り物用にちょうど100樽ある酒に手を付けることは出来ない。それでも金右衛門は船に戻り、1樽の酒を浜辺まで運ぶ。天には名月が昇り、しみじみ感じ入りながら酒を飲む秀家。3年前の都での豪奢な月見を思い出し、今宵の自分の惨めな姿に涙する。秀家は酒のお礼にと自分で捕らえた魚を差し出す。畏れ多くもとこれを受け取る金右衛門。
 風向きが変わり船は出帆したが、向かう先は江戸ではなく広島である。金右衛門は八丈島での出来事を話すと、正則はひじょうに驚く。共に秀吉公から深い恩を受けた身でありながら秀家に申し訳ないと思う。正則は家康公に手紙を送る。家康は罪の赦免はできないが、八丈島で安楽に暮らせるようにと秀家に500石の所領を与える。職人を送り八丈島に屋敷を普請させ、さらに岡山から秀家の家族を呼び寄せて、一家は再会できた。秀家は江戸に罪人がいるのならば八丈島へ送ってくれ。この八丈の地で善の道を説き、改心させて江戸へ戻そうと言う。
 秀家は八丈島で50年の間暮らし、84歳でこの世を去ったという。






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