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『榎本武揚〜恩愛親子餅』あらすじ

(えのもとたけあき〜おんあいおやこもち)


【解説】
 広く知られている通り、榎本武揚(1836〜1908)は幕末の幕臣で幕府海軍の指揮官。戊辰戦争では旧幕府軍を率いて箱館戦争を戦ったが敗北。2年半の間投獄され、黒田清隆らの尽力で赦免される。その後は明治政府に仕え、北海道の開拓使、さらには各省大臣を歴任する。この読物は、榎本が投獄されている間、それでも我が子に会いたいと思う母心を題材にしたもの。五代目宝井馬琴が得意とした。

【あらすじ】
 徳川の世から明治へと世の中が移り変わろうという時に、箱館・五稜郭の戦いにおいて榎本武揚、大鳥圭介、松平太郎、永井玄蕃、荒井郁之助を大将とする旧幕府軍は最後まで官軍に抵抗する。官軍の指揮を取る黒田清隆は無益な戦いはやめるよう呼びかけ、一般の兵を助けることを条件に旧幕府軍は降伏する。榎本らは唐丸駕籠に揺られ東京まで護送され、丸の内・辰ノ口の牢獄に入れられる。30人ほどが詰め込まれた牢内はひどい有様であり、榎本は一日も早く断罪してもらいたいと思う。
 牢内では榎本は素性を隠し、自分を旗本の次男坊だと語る。蘭書を差し入れてもらってそれを読む。その中には海底電信について書かれた物があり材料を取り寄せてその模型を造る。そんな榎本を周囲の者たちは不思議がる。もとより江戸っ子で男気があり面倒見の良い榎本は、牢内の者たちの身の上相談にのったり、意見をしたりと評判が良い。こうなると面白くないのが牢名主で、ある日榎本が1ヶ月ほどかけて造った模型を壊し、2人は争いになる。ここで始めて榎本は元は幕臣であった自分の正体を明かすと、牢内の者たちは榎本に加勢し牢名主を倒してしまう。榎本は牢内の悪弊を訴えると様々な改革がなされ、さらに彼は牢名主の後役に選ばれる。
 榎本武揚は天保7年、江戸・下谷の生まれで幼名を釜次郎といった。榎本が五稜郭に行ってしまったのちは家族の者たちとはずっと会ってはおらず、母親の貞子(さだこ)はその身を案じている。榎本の妻・多津子(たつこ)は懸命にそんな母親の世話をする。母親は息子と対面させて欲しいと兵部省に嘆願書を出すが拒絶されてしまう。がっかりした母親はそのまま病の床についてしまった。それから2年経ち、多津子は牢内の榎本に煮豆を差し入れする。その中の葉には母親の病状について書かれている。孝心深い榎本は涙し、母親と会わせて欲しいと嘆願するが聞き入れてはもらえない。
 多津子と榎本の姉は相談して策を思いつく。餅屋に餅をついてもらい餡と黄粉をまぶし箱に入れる。母親の貞子はそれを持って榎本の収監されている牢獄の前まで出向き、牢内に売りに来た餅売りの婆だと告げる。鑑札が無いので門番から追い返されそうになるが、息子2人に死に別れた哀れな婆でありますと言うと不憫な者であるからと中に入ることを許される。別の牢にいた荒井郁之助はこの婆が榎本の母親であると気づく。荒井はこの奥の牢に榎本という餅の好きな牢名主がいるとさり気なく伝える。榎本は牢の格子の前で泣く母親の姿を見て、よくぞ訪ねて来てくれましたと心の中で涙するが、周囲の者には知らぬ婆だと言う。母親は売れ残りですと言って餅を渡し、牢から去る。
 明治5年正月、黒田清隆らの助力があり、榎本ら5人は赦免される。榎本は我が家へ戻るが、母親は10日前に亡くなっていた。榎本は仏壇に手を合わせ、牢内まで来てくれた母親に改めて感謝するのであった。





参考口演:五代目宝井馬琴

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